汝、心のままに生きるが良い
それこそが、天意・・・
それこそが『運命』
プロローグ・・・
「あ、あの・・・、お手洗いはどこでしょうか?」
「ご案内致します。」
女官のお姉さんに付いて行き、歴史の趣ある廊下を歩いた。
歩くだけでも、緊張する。
こんなところに自分が居るということが、全く信じられない。
「帰りは、一人で戻れそうです。ありがとうございます。」
「チマのさばきは、大丈夫でしょうか?お手伝い致しますが・・・。」
「へ、へ、平気です!一人でできます!はい!」
「では、失礼致します。」
ぺこりと頭を下げて、女官のお姉さんの後姿を確認してから、
トイレの個室に入った。
あ~、焦った。
トイレの手伝いって・・・、皇族は、そんなことまで女官にしてもらうのかしら?
それにしても・・・、これからどうしよう!
このまま戻れば、次は皇帝陛下に拝謁することになるのよ。
そこには、皇太子殿下も現れて・・・。
そんな状況で、正直に言うことなんて、出来るかしら?
『皇太子殿下とは、結婚出来ません!』
なんて!
でも、このままだと、私は殿下と結婚することになる。
それでも、いいの?
本当に、私、そんなことしていいの?
ダメよ、ダメ、ダメ!
顔も見たことの無い『許婚』と、愛のない結婚をしようとしている皇太子。
私が結婚するとしたら、それは、お金のためよ。
そんな夫婦、上手く行くはずないわ!
そうだ、逃げよう!
皇帝陛下や皇太子殿下の前から逃げ出すような失礼な女なんて、お妃には相応しくない。きっと、”宮”が、そう判断してくれるに違いない。
いい考えだわ、逃げちゃえっ!!!
必死だったから、どこをどうやって抜け出したのか、憶えていない。
コソコソと庭を通り抜け、林の奥へと進んで行った。
パパ・・・、ごめんね。
よく考えたら、パパを一人、拝謁の間に取り残して来た。
困っているだろうな?
私が戻らなかったら、パパはどうなっちゃうんだろう?
私が自分の『運命』について聞かされたのは、ごく最近のことだった。
高校を卒業して、もうすぐ大学生という、花開く季節を待っている時よ。
お爺ちゃんと先帝は親友で、孫同士を結婚させる約束をしたんだって!
私は皇太子の、『許婚』だって言うの!
俄かには信じられなかったけど、”宮”の職員がやって来て、色々な段取りを説明して行った。
それによると、私が入宮したら、超お得なことがあるらしい。
実は今、我が家には危機が迫っている。
パパが知り合いの保証人になって、その借金を肩代わりしなくちゃいけなくなったの。
毎日のように借金取りが押し寄せて、
私や弟のチェジュンの進学も危ういかも・・・。
え~、大学、諦めなくちゃいけないの?
ただし、お妃になれば、実家の援助が期待できる。
だから、パパとママは、一瞬、手を上げて喜んだのよ。
でも、私がぶーたれてるから、慌ててその手を引っ込めた。
いきなり『許婚』とか言われも、
いきなり結婚なんて言われても、
そんな簡単に決めることなんて出来ないし、
だいいち、私がお妃なんて、この国の将来が危ういわ!
私にだって、夢がある。
ステキな人と巡り合って、
ドキドキときめいて、
そんな『運命』の出会いののちに、深い愛で結ばれて、結婚するのよ!
なのに、その『運命』が、『許嫁』との政略結婚だなんて!
私の夢を、どうしてくれるのよ!!!
パパもママも弟のチェジュンも、私の顔色を伺っていた。
「お妃って、綺麗なドレスが着られるらしいわねぇ。」
「宮殿の食事は、ずいぶんと美味いらしいぞ。」
「皇太子殿下が兄ちゃんか・・・、憧れるなぁ。」
私をその気にさせようと、何気ない風を装って、呟いたりして・・・。
ワザとらしいったら、ありゃしない!
そんなこんなで、家族の期待を体中で感じて いたたまれずに、
私は仕方なく、”宮”にご挨拶することにした。
直接会えば、私みたいな情けない女は、お妃に相応しくない、と言ってくれると思ったの。
”宮”が断れば、家族も諦めてくれるでしょう?
私は、悪者にならずに済むわ。
”宮”が用意してくれた韓服は、豪華な刺繍が施され、
手を通すだけでも恐れ多い感じ。
こんな物を着る身分じゃないけど、
高貴なお方の前に出るには、それなりの準備が必要なのね。
一応、私は、先帝がお決めになった『許婚』だしね。
先帝が選定した姫・・・なんて。
親父ギャグを言ってる場合かっ!!!
パパと一緒に宮殿に入ると、さすがに緊張した。
最初に会ったのは、二人の高貴な女性。
皇太后陛下と皇后陛下だって・・・。
超、ビビる!
「まあ、あなたが『許婚』のチェギョンさんですね!思っていた以上に可愛らしいお嬢さんだわ!これから私たちは、家族も同然ですよ。仲よくしていきましょう!」
「え・・・、か、家族?」
皇太后陛下は、やけにテンションが高くて、もう明日にでも私と皇太子を結婚させそうな勢いなの!
私もパパも、偉い人たちの前で緊張して何も言えないままに、目の前の高貴な女性たちばかり、盛り上がっている。
そうか・・・、私の着ている韓服の刺繍は、ほとんど、前のお二人と一緒だわ!
これって、お妃様の着るものだったんだ!!!
こんな物を着て来てしまったから、私は、お妃になることを受け入れたのだと、勘違いされたのかも!
やばい!
「あ、あの・・・皇太后様。」
「もうすぐ、陛下が公務から戻ります。太子も呼んで紹介しますから、もう少し待っていておくれ。」
どうしよう!
こんな調子で皇帝陛下や皇太子殿下に会えば、きっと『はい』しか言えないわ!
とりあえず、トイレに逃げて、落ち着いて考えて・・・。
そして、そのまま、逃避行!!!
逃げたはいいけど、どこに行ったらいいのか、さっぱりわからない。
頭の中は、「こんなことしていいの?」という罪悪感と、
「逃げなくちゃ、大変なことなる!」という脅迫観念がぐちゃぐちゃに混ざって、もう、パニック状態よ。
林の中を進むと、白壁の高い塀が見えて来て、その下に、古いお社のような小さな建物があった。
その建物の陰に隠れるように腰を下ろして、塀を見上げた。
「ああ、これを乗り越えれば、元の世界に戻れるわ。」
切なくため息をついて、呟いた。
「どうしよう?」「どうするか?」
え?今、声がしなかった?